坪井博一が、兼業主夫になるまでの物語

私、坪井博一が兼業主夫になるまでに、何があったのか?

料理が好きで、子供が好きで、兼業主夫になるべくしてなった
家事も何でもできて、はじめから、主夫になりたくてなったのでは、
よくそう言われます。

そう言う人は、言わせておきますけど、
決して、そうではなかったのが実際のところです。

一回結婚に失敗しているバツイチ。
仕事は続かず、転職を繰り返している。
結婚した時に、お前は結婚するタイプじゃないと思っていたと多くの友人に言われた。
子どもが生まれるまで、特に子ども好きではなかった。
家事も、自炊はしていたけど特に好きってわけではなかった。
派遣で働き、更新するたびに条件が悪く精神的に辛かった。

などなど、挙げればキリがないくらいのダメ男でした。

それが、子供が生まれて、かわいいと思った。
できるだけ、一緒の時間を過ごしたいと思った。

出勤すれば終電ぎりぎりまで残業しないと契約更新しないと言われ、
休日も出勤しないと契約更新しないと言われ、
どんどん条件が悪くなっていく働く条件が悪くなる。

雇われた時の条件は、基本は定時退社で残業は月に10時間程度、
土日休日は休みで働き始めたにもかかわらず、契約更新時に、
提示された悪条件を飲まないと、契約終了にすると、
今考えたら、ひどい話ですが、それが日本を代表する大企業。

日本の会社に、失望していました。
それと同時に、平日も休日も家族と過ごせないことで、
精神的に不安定にもなっていました。

そんな状態の時に、東日本大震災が起こったのです。
会社のある豊洲にいて、家族とは連絡がつかない。
すぐに帰りたかったが、会社は返してくれない。
休みにしてもいいから返してくれと言ってもダメ。

システムが止まって仕事ができる状態じゃないのに、
私以外は、仕事をしているフリをしている。

会社に勤めている人たちに、完全に絶望しました。

それと同時に、大切な家族を守るために
妻も私も、自宅から遠くで働いていることは、
大きなリスクだということにも気づきました。

私か、妻が、自宅で働くことはできないか?
そう考えたとき、派遣で働いている私の方が、
自宅で働くという選択肢をするのがベスト。

その、2か月半後、契約更新はせずに会社を辞め、
会社に勤める以外での稼ぎ方を模索しつつ、
家事も育児も主体的にやるようになっていきました。

その後、二人目の娘も生まれ、育児家事をしながら、
サラリーマンをやっていた頃と同程度は稼げるようになりました。

それが、兼業主夫、坪井博一の誕生するまでの物語。
そして、今なお、現在進行形で、兼業主夫として学び、実践し、進化を続けています。